大阪本場青果卸売協同組合
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今月の旬便り 今月は梅

梅の学名は、『プルナス・ムメ・シーボルト・エト・ツッカリーニ』
(Prunus mume Sieb.et Zucc)と言います。

あのシーボルト先生が付けられたのですね。
英語ではJapanese apricotです。

梅の原産

梅の原産地は、中国の長江中流、湖北省の山岳部や四川省であろうと言われてます。
中国では3000年以上も前から、薫製した青梅を薬用として利用していたようです。
6世紀には『斉民要術(せいみんようじゅつ)』に梅干や梅酢の作り方など、梅の栽培方法や加工方法が記されています。
その他にも台湾や日本の大分県と宮崎県などの説があります。今現在は中国説が有力のようです。
日本には奈良時代に遣唐使(630〜894)が中国から薬用(漢方薬)の「烏梅(うばい)」という形で持ち帰り、当時から食薬として珍重されたものが最初と言われています。
同じ頃入ってきた梅の木は、日本の風土気候によって、中国の梅とは品質の異なる日本独自のものに生まれ変りました。 中国の梅は「杏梅」、日本の梅は「酸梅」といわれ、日本の梅はすっぱく、有機酸の含有率の多いと言われています。

梅の語源

諸説(定説はありません)
1.梅の古代語はムメで、ムは群がり咲くもの、メは可愛いもの。
2.中国産の薬用の烏梅(うばい)は中国読みで「ウメー」なので、そこから来たと言う説
3.「ウ」は熟(う)む、「メ」は実で、熟実「うむみ」の意味だとする説。
4.「ウ」は接頭語で、「メ」は梅の韓音だとする説などです。

「梅」の成り立ち

「梅」の漢字は「木」に「毎」で成り立っています。
“母”は「ものを生み出すもと」、“毎”は「髪にかんざしをしていた母」です。
そこから“毎”は「一つずつ増えること」という意味が込められて、そして合体した「梅」は、毎年実が次々になる木のこととなったらしいです。

王仁(わに)博士

王仁博士は古事記、日本書紀によると5世紀の応神天皇のころ百済から渡来して、日本に漢字や論語を伝えたという人物です。
王仁博士は仁徳天皇の即位を祝って難波をたたえて詠んだ歌
「難波津に咲くやこの花、冬ごもり今を春べと咲くやこの花」
の「この花」は梅の花です。
ユニバーサルスタジオがある大阪市「此花区(このはなく)」は、この歌にちなんで命名されました。

日本の梅

奈良時代には「菓子」=「果物」でした。梅やなし、桃などの果物は、生菓子として食べられていたようです。
梅は古来から、食用として用いられてきましたが、その効用から薬用としても多く用いられていました。
万葉人はその梅を好んで庭に植え、その花を楽しみました。
当時は、花見と言えば梅で、真っ白な梅の花を愛でました。
「春告草」 他よりも先駆けて開花する梅の別名です。
『万葉集』には桜の四十首余りの歌に比べ、梅は百数十首詠われています。
古来「梅」といえば「白梅」でしたし、花といえば「桜」ではなく「梅」をさしていたようです。

紅梅

ところが、平安時代になると、枕草子に「木の花は梅、濃くも薄くも紅梅」とあるように、紅梅が好まれるようになりました。

道真と梅の花

天神様の紋章は梅の花ですね。
春を告げる縁起のいい花木なので、松や竹の常緑樹と共に「松竹梅」と呼ばれ、めでたい印として祝いの場では飾られます。
京都の菅原道真邸には早春に良い香りを放つ梅ノ木がありました。
しかし菅原道真が左遷され九州大宰府へ出発する日の朝、道真は庭に出て「もうこの梅の花の香りも嗅ぐことが出来ない」という気持ちで、有名な次の句を詠みました。

  東風吹かば 匂い起こせよ 梅の花 主無しとて 春な忘れそ

この歌を聞いた人たちはみな泣き崩れたと伝えられています。
この句が伝説を生み、主すなわち菅原道真を慕って梅の花が追い掛けたという、いわゆる「飛び梅」伝説はこうした経緯があったのです。

桑原、桑原

雷のときに「桑原、桑原」と言って落雷を避けるおまじないは、実はこの菅原道真公から来ています。
死んで後怨霊となった菅公は、恨みのある人物に落雷を起こしたと信じられていました。
菅公の生前の領地は桑原荘なので、きっと自分の領地には落とさないだろうと考えた昔の人は、「ここはあなたの領地ですから、落とさないで下さい」という意味を込めて「桑原、桑原」と唱えたと言われています。

梅とクエン酸

梅干はとても酸っぱいのに非常に強いアルカリ食品です。
これは梅干が体内で消化されると、梅干に含まれるアルカリ性のミネラル分が働くためです。
「すっぱさ」のもとは、『クエン酸』という有機酸によるものです。
このクエン酸が健康に良い、さまざまな効用を発揮するのです。

梅の実と毒

青梅自体の中には、青酸化合物の1つである、アミグダミンというのが含まれていて、生食には適しません。
ところが梅干しに加工されますと、アミグダミンがベンズアルデヒドという、逆に今度は抗菌パワーをもった体に有効な成分に変わっていくのです。

梅干とうなぎ

梅干とうなぎは食べ合わせが悪いと言うのは迷信です。
梅干が脂っこい食べ物をさっぱりとさせるので、折角のうなぎの栄養分が梅干によって消されてしまうと誤解されていたと言う説。
または、うなぎを食べた後に梅干を食べると、口の中がすっきりして、ついうなぎを食べ過ぎてしまうと言う説などがあります。

品種が増えた江戸時代

江戸時代には、梅干や梅エキスが作られ始め、一般の家庭でも広く食べられるようになりました。
大晦日や節分の夜になると、梅干に熱いお茶を注いで飲まれていたようですが、この頃にはまだ、梅干はしその葉で漬けられてなかったようです。
和歌山県では江戸時代・紀州薄田辺嶺下において城代家老の安藤直次が奨励し保護政策をとり、田辺・南部地方を中心に広がったとも伝えられています。

梅王国「和歌山」

和歌山の梅は、明治の末頃から生産量は増加しました。
戦後の昭和30年代以降、その量は急速に伸び、併せて優良名種の「古城」「南高」が出現し質も高まりました。
その後、昭和56年頃からの自然食品や健康食品ブームの波が起こるとその波に乗って、ヘルシーな梅干しとして改めて消費者に見直されました。
現在まで和歌山の梅は質、量とも日本一を誇っており、梅干の他にも、梅酒や梅ジャム、梅エキス、梅ジュースと多方面に注目される様になっています。

梅の銘柄

古城梅(こじろうめ)
大正時代後期、田辺市長野の那須政右工門氏が地所から譲り受けた穂木を接ぎ木した中から生まれたのが古城梅です。
那須氏の屋号をとって古城梅と名付けられました。
発芽、開花は他の品種に比べ遅れますが、収穫期の早いのが特徴で果実が極めて美しい梅です。
主に梅酒、梅ジュースに用いられます。
南高梅(なんこううめ、なんこうばい)
昭和35年、上南部村の高田貞楠氏が譲り受けた苗の中につぶが大きく、美しい紅のついた優良種が一本あるのに着眼し、母樹として育成、増殖しました。
その後、南部高等学校の教諭・竹中勝太郎氏が5年間調査研究の結果、最も優れたものを南高梅として発表しました。
南高梅は豊潤で梅酒、ジュース用はもちろん、梅干用の漬け梅として適しており実に美しい紅をさすのが特徴です。

梅の効用/b>

(1)クエン酸
腸から吸収された食物は分解されて炭酸ガスと水になり、その間にエネルギーが生み出されます。この一連のサイクルが円滑に回転しないと栄養物の不完全燃焼が起こり、血液中に多量の乳酸がたまります。すると、生命活動が衰え慢性疲労に陥る。このサイクルを円滑にするのがクエン酸です。
(2)抗酸化作用
梅に「リオニレシノール」と呼ばれるポリフェノールが含まれており、血管などを痛めつける活性酵素をけす抗酸化作用があり動脈硬化からくる心臓病や脳卒中を予防します。
(3)ムメフラール
梅エキスから血液をサラサラにする「ムメフラール」という物質が発見され、梅に含まれる糖とクエン酸が過熱されることによって結合し生まれる成分で血流を改善し、動脈硬化などの生活習慣病を予防します。
(4)カルシウム吸収促進
日本人が唯一慢性的に不足している栄養素がカルシウムで、この吸収を手助けするのが梅に含まれるクエン酸で、骨からカルシウムが持ち出されるのを防ぎます。
「産婦は梅干しを21日間毎日食べると肥立ちが早い」といわれています。

梅の 簡単レシピ

 
1)基本的な「白干梅」の作り方
2)基本的な「梅酒」の作り方
3)基本的な「梅酒ジュース」の作り方
4)南高梅で作る「梅ジャム」の作り方

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