●水都大阪2009に寄せて
大阪市中央卸売市場本場の前には、 小栗康平監督の映画「泥の河」の舞台となった、安治川が流れています。
安治川は淀川水系の旧淀川の最後、大阪湾に注ぐ時の名前です。
かって京都の南西には巨大な「巨椋池」(おぐらいけ)がありました。 淀川はこの池を発して、北摂から大阪の町中を通り海に流れていました。 現在は淀川の南岸・都島区毛馬町にある毛馬水門(毛馬閘門)でそのまま舞洲へ注ぐ(新)淀川と、と、昔ながら大阪市都心部を流れる(旧)淀川に分かれます。 旧淀川は大阪湾に注ぐ淀川水系の支流で、一級河川に指定されており、大川(おおかわ)とも、天満川(てんまがわ)とも呼ばれます。
旧淀川は、新なにわ筋で木津川を南に分けた後、中之島の西端で両川は合流し、る。合流後は安治川(あじかわ)と称されます。
開場当時の大阪市中央卸売市場本場です。
昭和6年11月11日に開場した大阪市中央卸売市場本場。 全国から運び込まれる農産物・水産物は、市場を囲むように敷かれた国鉄の貨物線路と、大阪湾から安治川をのぼってくる船が接岸する積み卸し港と、陸路と水路両方から市場に運び込まれました。
ウォーターフロント(川岸)に到着した船 四国で作られたスイカが安治川の船着き場について 市場に運び込まれるところです。 この小さな丸い粒のようなものはスイカです。 西日本、九州や四国で収穫されたスイカは、当時は包装も何も無く、そのまま船に積み込まれました。 船から降ろされたスイカは、市場の所定の保管所にていねいに山と積まれて行きました。
生鮮食品を中心に、流通は中央卸売市場を中心にして動いていた時代。 この頃の大阪市中央卸売市場のウォータフロントは、大大阪市の発展とともに、取扱量が右肩上がりで増えていき、全国の産地からの物産の受け入れ窓口として、大変重要な役割を果たしていました。 それは、文字通り水都大阪の食の要であり、「大阪は淀川の賜物」でありました。
戦争で焼け野原になった西区から中之島、市場方面にかけて
大阪市中央卸売市場本場は 昭和20年3月14日と 6月1日の空襲で、 一部が被災、全焼しました。 また天満と木津の分場も全焼しました。 統制経済の下で、配給ラインの一部となっていた中央市場は、ついにその機能をも失い、市場の幕を下ろしました。
大阪大空襲で瓦礫の山と化した本場
●大阪市中央卸売市場復活 昭和35年頃
国鉄の貨物引込線が周囲を取り巻いています。下は入ってきた貨車。
深夜の荷卸し最後の貨物の入場
にぎわう市場。市内外から仕入れに来られます。
現在(H21年)の西区、中央市塲(左上)、中之島(上中央)
●現在のウォーターフロント
そして現在市場横の安治川の堤防沿いは、落ち着いたウォーターフロントに生まれ変わろうとしています。
ここまで歩いてだれもいませんでした。 船を係留しやすいように係船柱がたくさんあります。
大阪市中央卸売市場本場のウォーターフロントは、かって貨物列車や船により、全国から水産青果乾物漬物の様々な産品が運び込まれ、マグロやスイカを船や貨車から運び込んだ喧騒の場所でしたが、今は秋日和にぴったりな、のどかで静かなリバーサイドウォークとなりました。 ウォーキングのついでにでも、一人で気ままに来られても良いし、恋人と二人でデートのお昼でも、親友との2人連れもOKです。 仲良しグループ、近所のチロリン村で来ても楽しいのどかな秋日和を楽しめます。
●ウォーターフロントに来たついでに 市場に寄ってみませんか
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